「私たち」と「あの人たち」の壁を乗り越える
アンドレアス・ハイネッケ(Andreas Heinecke)
Dialogue Social Enterprise創設者兼CEO
プロフィール
1955年 ドイツ生まれ。
1988年 ダイアログ・イン・ザ・ダークを開始。
2005年 西ヨーロッパ初のアショカ・フェロー、
2007年 シュワブ財団のグローバルフェローに選出※。
2008年 ダイアログ・イン・ザ・ダークをフランチャイズ方式で運営するダイアログ・ソーシャル・エンタープライズを創設。
2011年からヨーロッパビジネススクール教授(ソーシャルビジネスコース)、社会起業家、哲学博士。
※アショカ・フェローは米国の社会起業支援非営利組織「アショカ」(Ashoka: Innovators for the Public)が認定するソーシャル・アントレプレナー。シュワブ財団は社会起業の促進等を目的に設立されたスイスの非営利組織で、ダボス会議で知られる世界経済フォーラムを主催。
ダイアログ・イン・ザ・ダークのルーツ
少年時代のハイネッケは、他の多くの男の子同様に兵士のフィギュアや戦車の模型に夢中でした。ドイツ人であることを誇りに思い、ドイツが負けたことはユダヤ人のせいだと疑ってやまない、そんな少年だったといいます。13歳のある日、テレビにユダヤ人が強制収容所に送られていくシーンが映ると、彼の母は涙ながらに「自分たちの身内にはユダヤ人もいたのだが、戦争中に殺された」と語ったのです。彼はあまりの衝撃に混乱しつつも、母方の親戚には誰一人として会ったことがない理由をようやく理解したといいます。
翌日から、彼は戦車の模型をすべて真っ白に塗り、赤で十字のマークを入れ、「戦争ごっこ」ではなく「レスキューごっこ」を始めました。これがハイネッケの哲学への探求の始まりです。人はどのようにして互いの社会の中で優劣を決定していくのか、何が人を善から悪に変えるのか―現在世界41か国以上で開催される「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、この衝撃的な出来事と、そこから生まれた彼の強い関心から生まれました。
視覚障害者との出会い
それから数年、ドイツのラジオ局に勤めていたハイネッケは上司から「事故で失明した視覚障害者を雇うことになったので教育係になってほしい」との依頼がかかります。視覚障害者に任せられる仕事はないと考えつつも、アパートを訪ねインターホンを鳴らすと、出てきたのは長髪で革のジャケットを着た、まるでロックミュージシャンのような若い男性でした。マティアスと名乗るその男性の言われるがまま家に足を踏み入れると、そこには階段がありました。ハイネッケはつい、「気をつけて!」と声をかけました。すると彼は「僕はここに住んでいるんだ、大丈夫」と笑顔で降り、コーヒーを振る舞ってくれたのです。彼の行動と言動に衝撃を受け、「視覚障害者は一人で何もできない」という偏見を自身も持っていたことに羞恥心を覚えました。ナチスの障害者への試験的ガス実験が思い起こされ、彼のような「普通の人」が「そうでない人」の権利を知らぬ間に奪っているのでは、違いを受容するためにはどうすべきなのか―ハイネッケの探求はより深いものになっていきました。
ダイアログ・イン・ザ・ダークの誕生
やがてハイネッケは視覚障害者のマティアスとともに働く中で、暗闇同様の暗室を経験することになります。暗室でも動きが変わらないマティアスを目の前にし、ハイネッケは「異なった能力を持った人々」がいかに有能であるかを確信したといいます。彼は目の見えない人と目の見える人とを引き合わせ、認識を変えたいと思うようになりました。認識を変えるためには、まずは「出会う」こと。二者の立場がすっかり入れ替わり、狙いどおりの結果を生むような環境を作り出し、状況を逆転してもらう必要がある。結果、人々が新たな事実に気付き、いままでとは異なる視点から物事を見るようになるのでは、と考えました。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(暗闇との対話)」の始まりです。
ダイアログ・イン・ザ・ダークがもたらすもの
人々が日常とはまったく異なった世界に浸かり、偏見を打ち破り、異文化とのあいだに存在する壁について語り、理解するためのプラットホーム、それが「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」です。言葉ではなく行動することに基礎を置き、心の溝をどう埋めるのか、どのように両者のあいだ対話を促し、互いに対する考えを変えるかということが、ハイネッケの一番の狙いでした。共通の経験を通じて参加者たちが「障害」を「能力」として、「異質なもの」を「似たもの」として再認識する。
互いに対等な立場から築かれる、理想的なコミュニケーション空間では、他者への認識の変化のみならず、自分自身の価値観や存在意義も肯定するチャンスとなります。自分の限界を感じ、住み慣れた世界から引き離されると同時に、自分との対話が始まります。その時に感じるのはフラストレーションなのか、自分の弱さや限界なのか。あるいは新しい感覚を発見するのか。様々に浮かぶ思いや体験が自己の再確認や新たな評価にもつながっていきます。また、ダイアログ・イン・ザ・ダークは視覚障害者の世界を疑似体験するものでもなく、障害者雇用のためのものでもありませんでした。しかし、体験を共有するうち、視覚障害者のアテンドへの感謝や賞賛が生まれ、障害のある人への共感や理解が進み、人間の多様性に対する認識も結果として広まることになったのです。そして、視覚障害者自身も収入だけでなく自身への正当な評価、自尊心を獲得し、参加者はコミュニケーションスキルや非視覚的な洞察力、そして障害者への共感を高めることができます。
3つの出会い
ハイネッケにとって、社会を変えていこうと考え、その取り組みを進めていくために必要なのは出会いと対話だといいます。そして、3つの出会いが彼の今を形作ったと語ります。
1つ目は子どもの頃、ダウン症の子がいじめられているのを傍観してしまったこと。
2つ目は私にユダヤ人の血が流れているのを知ったこと。
3つ目がマティアスと出会ったこと。
彼はそれらの出会いの意味を考え、自身と対話を重ねながらダイアログ・イン・ザ・ダークに至るアイデアや実施する意義、役割を追求してきました。
出会うこと、そして出会いと対話することで、自分の人生も、社会も変えることができる―これが、ハイネッケがダイアログの活動を通じて伝え続けているメッセージです。
日本へのメッセージ
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、多様な人々が互いに個性を認め合うことで社会がより豊かなものになるという“インクルージョン”の考え方が、社会的関心を集める前からスタートしました。日本においても1999年の初開催以来、障害者の権利を尊重するという社会的動きを先導する力の一つとなり、インクルージョンを進める役割を果たせてきたのではないかと考えています。今後、新たなテーマによるダイアログ・イン・ザ・ダークが日本で開催されることもとても嬉しく思います。